2011年の今年は、水戸藩第2代藩主徳川光圀が藩主に就任して350年目にあたります。光圀は「水戸黄門」として広く知られていますが、自ら中心となって『大日本史』編さんを始めました。この事業は、わが国の歴史学史に大きな足跡を残したのみならず、幕末に大きな影響を与えた「水戸学」を生み出しました。
自由奔放な少年時代を過ごしていた光圀が学問に目覚めたのは、司馬遷の『史記』伯夷伝を読んだことでした。伯夷と叔斉の兄弟愛を描いたこの物語は、兄を差しおいて藩主を継ぐことになっていた光圀に大きな感動を与えたのです。そして光圀は藩主に就任するにあたり、つぎの藩主は高松藩主である兄松平頼重の長男に継がせることを明らかにします。兄こそが水戸藩主を継ぐべきであった、という思いを次の世代で実現させることになりました。
一方、頼重は家光によって下館5万石の大名に取り立てられ、のちに讃岐高松12万石に移されます。そして父頼房、弟光圀からは、水戸徳川家伝来の宝物がいくつか贈られました。
この高松松平家は、会津松平家、彦根井伊家とともに歴代当主が江戸城内溜間に詰め、将軍の政務の諮問に応じるという重要な役割を担うことになりました。
本図録では、こうした頼重と光圀をめぐる人びとやゆかりの品を通して、兄弟の生涯を紹介しています。 |