大日本史編纂事業を中興した彰考館総裁立原翠軒の子として水戸に生まれた立原杏所は、父の元に出入りしていた林十江や下野黒羽の小泉斐らに画を習い、やがて十江とともに「水戸の南画」を代表する画家へと成長しました。
杏所は二十代の末に江戸・小石川の水戸藩邸勤務となり、この地で他の南画家や文人と交流をするようになります。翠軒と交流があり、以前から指導を受けていた江戸南画の巨人谷文晁、その画塾写山楼に出入りし、交流した渡辺華山、椿椿山、高久靄高ニいった面々です。
江戸での杏所は藩主の信任も厚く、武士としての忠勤に励みつつ画道に精進し、一家を成しました。また、書や篆刻、鑑識などにも優れ、いわゆる「文人」の一人としても活躍をしました。
本図録では、杏所の生涯にかかわった人々の資料を交えつつ、没後170年にあたる今年に水戸と江戸をつなぐ「南画家」、そして武士(武人)でありながら「文人」の粋を追求した立原杏所の世界を作品と史資料で紹介しています。
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