なおまさ(ぼくさい)
打越直正(樸斎) |
|
版本 大日本史 |
※写真の無断転用を禁止します |
貞享3年(1686)、那珂湊船手方米川秀勝の子として生れました。幼少より学問を好み、14歳の時、光圀の抜擢で格留付列史館見習となり、三宅観瀾に師事しました。正徳5年(1715)、打越家の養子となって家督を継ぎ、享保12年(1727)には小納役に進み、彰考館総裁を兼ねました。元文5年(1740)55歳で没しています。「樸斎正議」は大日本史の内容に関わる疑問点を、大先輩の安積澹泊に問い合せた記録です。
※大日本史編纂にたずさわった主な人々一覧 へ戻る
※よりくわしく「大日本史」について知りたい方へ
大日本史
約250年にわたる大修史事業
紀伝体
大日本史の三大特筆
|