さっさむねきよ※そうじゅん (じっちく)
佐々宗淳(十竹) |
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版本 大日本史 |
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通称介三郎、寛永17年(1640)瀬戸内海の一小島(不明)の生まれといわれています。15歳の時、京都妙心寺の禅僧となり、祖淳と号して修行に励みましたが、その後還俗して江戸に出、延宝2年(1674)35歳の時彰考館に入りました。修史事業における最大の業績は、関西・九州・中国・北陸など全国各地にわたる史料採訪でした。元禄元年(1688)彰考館総裁、同9年、彰考館を辞して西山の光圀に近侍、同11年59歳で没しました。
なお、「水戸黄門漫遊記」における「助さん」のモデルとしても有名です。
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紀伝体
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