斉昭は、藩士の危機意識を高めるため、軍制改革にも積極的に取り組みました。特に天保11年(1840)には、城南千束原で大規模な「追鳥狩」を実施。、以後安政5年(1858)まで計9回実施しました。この「追鳥狩」は、斉昭自身が甲冑姿で陣頭に立ち「騎士三千、雑兵およそ二万」という大がかりなものでした。
徳川斉昭へ戻る