斉昭は大砲をはじめ様々な武器の製作を行っています。嘉永6年(1853)のペリー来航に際しては「太極」以下75門を幕府に献上しています。そのほか、いわば現在の装甲車ともいうべき「安神車」など自ら考案した武器も多くあります。
それだけでなく、砲術も自ら考案し、「神発流」と名付けています。また、安政期には、大嶋高任(南部藩士)、竹下矩方(薩摩藩)らを招いて反射炉を那珂湊に建設、大砲を製造しました。
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