茨城県立歴史館蔵 大正13年版『雲』について
                         

 

 山村暮鳥『雲』は,暮鳥が死去した翌年,大正14年(1925)にイデア書院から刊行された。


  茨城県立歴史館が所蔵する『雲』(以下「歴史館本」と称する)は大正13年に作製されたものである。暮鳥の葬儀(大正13年12月11日)のために,特別に用意された仮製本2冊のうちの1冊である。2冊のうち1冊は江林寺の暮鳥の墓に納められた。もう1冊の仮製本が行方不明となっていたが,このたび歴史館本がそれであることが確認された。


  表紙挿絵は小川芋銭が描いた「伯牙弾琴」。伯牙は中国春秋時代(紀元前8世紀〜紀元前5世紀頃)の琴の名手である。自分のよき理解者であった暮鳥に対する芋銭の心情が伝わる挿絵である。歴史館本は,大正14年版と比べると紙質はよく厚めであるが,題簽は無く「伯牙弾琴」の月の絵にも金が塗られていない。葬儀のための急造ということで間に合わなかったのであろう。歴史館本は書誌学的には「特装本」と「仮装本」の性格を併せ持っている。


  歴史館本には,病床で編集にあたっていた暮鳥自筆の校正指示書が貼附されている。すでに,校了となっていたにもかかわらず,暮鳥が詩中に次の一章を挿入してほしいと「懇願」している。

    おや,おや
    ほんとにころげでた
    地震だ
    地震だ
    赤い林檎が逃げだした
    りんごだって
    地震はきらひなんだよう,きっと

 

 前年,大正12年(1923)には関東大震災が起こっていることを考えると,この一章の挿入にこだわった暮鳥の心情は興味深い。


  さて,葬儀用の仮製本は出版社の高井氏から,いはらき新聞社学芸部津川公治氏の手に渡る。津川氏は暮鳥と懇意にしていたと推測され,前述の校正指示書の右横に「山村君の絶筆」と記したのも同氏であった。その後,津川氏は同本を資料蒐集家として知られる山本秋広氏に譲渡する。昭和31年秋のことであった。山本氏は5年前に急死した娘多賀子を思い出し「もし多賀子が生きていてこの本を上げたら,どんなにか嬉しがるだろうと,心密に思いながら,この本を買った」と巻末に記している。

  歴史館本の受入登録は昭和48年4月1日である。購入金額の記載が無いので寄贈本として受け入れたと推測される。山本氏の手元から,同書がどのような流れを辿って歴史館に入ったのか,台帳にも受入の経緯について記載は無く不明である。

 

(平成24年9月20日[木]〜10月31日[水] 当館1Fロビーにて無料公開)

 

表見返し 注記

   

表紙

(小川芋銭「伯牙弾琴」)

   

裏見返しに貼付 

絶筆となった校正指示書き

 

 

 

 

 

 


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