藩政のゆきづまりと対外的危機感の高まるなかで,徳川斉昭は文政12年(1829)に水戸藩主となり,藩政改革に着手しました。一般に水戸藩の天保の改革と呼ばれ,諸藩の幕末期の改革に先駆け,幕府の天保の改革は水戸に示唆を受けるところが多いといわれます。改革は必ずしも順調ではなく,何度か挫折しかねない状況もありましたが,改革派家臣らの協力によって危機を切り抜けました。斉昭の三度に及ぶ就藩のなかで,改革はおおむね実現されました。