彰往考来
徳川光圀像(一部) 立原杏所筆
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光圀によってはじめられた大日本史編纂事業は、水戸家の代で12代250年にわたって継続されました。光圀が修史事業に着手したのは明暦3年(1657)30歳の時でした。藩主就任後の寛文12年(1672)、光圀は史局を「彰考館」と名づけました。彰考とは晋代の杜預『左史伝』序の「彰往考来」に拠ったもので、過去をあきらかにして未来を考えるという意味です。大日本史には有名な「三代特筆」があります。これは神功皇后を列伝の后妃伝で扱ったこと、大友皇子を帝大友の本紀にたてたこと、南朝正統の立場をとったことです。これは光圀の独創で、史臣の反対するものに、光圀は「唯だ此一事のみ某の為に仮借せよ、天下後世我を罪する者有りと雖も大義の存する所我豈に筆を曲けんや」といって自説をとおしたといわれます。

 ※より徳川光圀について知りたい方へ

   徳川光圀

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