将軍の藩屏 |
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徳川光圀像(一部) 立原杏所筆 |
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一方、光圀は徳川「御三家」の一員として幕府政治を内側から支えました。光圀の30年にわたる藩主時代を、将軍の治世でみると四代家綱の後半19年と5代綱吉の前半11年にまたがっています。この間、幕府運営上重大な出来事がおこるたびに光圀の姿がかいま見えます。特に、将軍継嗣問題や「生類憐みの令」では5代将軍綱吉と確執が生じ、「抑此卿(光圀)の隠退こそいぶかしけれ…かくにはかに隠退の事は、いかさま故ある事なるべし」(徳川実紀)と記されて、当時から疑惑視された隠退の遠因ともいわれています。
※より徳川光圀について知りたい方へ
徳川光圀
東藩世子
伯夷伝体験
水戸宰相
将軍の藩屏
彰往考来
西山
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