佐竹義宣
 

 佐竹義宣(1570〜1633)は義重の子である。母は伊達晴宗の娘であり,政宗とは従兄弟同士である。天正15,6(1587,8)年ごろに家督を継ぐ。葦名氏を滅ばした伊達氏に対し,義宣は石田三成を介し豊臣秀吉とよしみを通じることにより,領国の維持・発展を図ろうとした。小田原攻めや文禄の役に参加しながら常陸を統一し,秀吉から常陸・下野の所領支配を認められた。

 関ヶ原の戦いでは,明確な態度をとらなかったため慶長7(1602)年,徳川家康から所領を没収され出羽国秋田へ移された。秋田では初代藩主として,久保田城築城をはじめ藩政の基礎を築いた。武将としてよりも行政人・文化人としての資質があったようで,領国経営のほか茶の湯・連歌・能に通じていた。特に茶の湯に造詣が深く,千利休や古田織部との親交があり,茶会を幾度も催した。

 寛永10(1633)年,江戸の上屋敷で64歳の生涯を閉じた。墓は秋田市の天徳寺にある。

 
 

 

 

 

 

 


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