(2)佐竹氏の創設

 前九年の役・後三年の役により源氏の関東地方への進出は強まり,源義光は常陸国奥七郡(那珂川南面の一部から茨城県北部にかけての那珂西郡,那珂東郡,久慈西郡,久慈東郡,佐都西郡,佐都東郡,多珂郡)を支配したという。義光は長子,源義業に常陸大掾平清幹の娘を娶らせ,姻戚関係を結ばせた。また,子の義清(後の武田氏の祖)を吉田郡武田郷(ひたちなか市)に居住させ,地盤の強化に努めた。

 源義業は,父義光より佐竹郷を継いだが,その子昌義(まさよし)の時,久慈郡佐竹郷に土着定住し,「佐竹冠者」と称した。ここに佐竹氏がおこったとされる。そして,佐竹昌義は奥州の藤原清衡の娘を妻とし,常陸大掾氏や奥州藤原氏と結んで佐竹郷の馬坂城を根拠に常陸北部への勢力拡大をはかっていった。 

  

 

 

 

 

 

 


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