多賀郡大久保村(日立市)の医師大窪光茂が私有地を提供して,天保10年(1839)に開業し,光茂が初代の館守となって,地方の医師の研修にあたりました。弘化元年(1844)には暇修館と改称され,近郷の郷士・神官・村役人や一般庶民も加わって学問に励みました。藩主徳川斉昭失脚後は,急速の衰えましたが,2代館守菅政友や神官宮田篤親らの尽力で復興しました。幕末に大久保郷校と改称され,廃藩置県で廃校になりました。