文化5年(1808)4月から始まった間宮林蔵の樺太探検の報告で,当時の蝦夷地探検記録書としては世界最初のものです。林蔵は,文化6年7月に単身で東韃靼に渡り,対岸の大陸にもわたって樺太が離島であることを確認しました。林蔵の業績は,ドイツ人シーボルトによって世界に広く紹介され,発見された海峡は「間宮海峡」と名付けられました。この北蝦夷図説も「東韃紀行」とともにシーボルトの著「日本」に訳載,紹介されました。