18世紀から19世紀にかけてロシアやイギリスが日本に接近してきました。文政期(1818〜29)に入ると,水戸藩の海上にも異国船が姿を現し,藩では海岸の要所に遠見番所を設け,藩士はもちろん郷士や猟師などを動員して警備に当たりました。文政7年(1824)5月28日に大津村(北茨城市)にイギリスの捕鯨船,船員12名が上陸しました。危機感を強めた藩内外から,しだいに攘夷論が高まってきました。