天保6年(1835)南部奉行吉成信貞らの尽力で湊村(ひたちなか市)に開館し,初代館守は藤田幽谷の門人の堀川潜蔵です。蔵書は,和漢書籍5300冊あまりにおよびます。安政4年(1857),激動する幕末には,湊村の山の上に移され,新たに武館も加えて文武館と称し,水門館ともいわれました。これには,郡奉行金子孫二郎の尽力が大きいといわれています。小川稽医館・延方郷校とともに三館といわれ,尊皇派の拠点として著名です。