文化4年(1807)から17年間斉昭の学問教師を勤め,斉昭が藩主に就いた後は,郡奉行や彰考館総裁・弘道館教授頭取などとなり,民政や教育面をはじめ多方面に活躍をしました。家塾南街塾を開いて,茅根寒緑や加藤桜老ら藩の内外に多くの門人を育てました。