霞ヶ浦と
太平洋のめぐみ
−塩づくり−
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「塩」は、生物にとって欠くことのできないものの一つです。岩塩や塩湖の存在しない国に住む日本人にとって塩をつくることは、命をつなぐことでした。
今から約3,300〜3,200年前の縄文時代後期の終わりに土器を使って本格的な塩づくりが始められ、その跡が霞ヶ浦沿岸の広畑貝塚(稲敷市)、法堂遺跡(美浦村)、上高津貝塚(土浦市)などで確認できます。霞ケ浦周辺は、日本で最も古い塩づくりが確認できる地域と考えられています。
また、古代の『常陸国風土記』には内海の霞ケ浦で、平安時代の『日本文徳天皇実録』には外海の太平洋岸で、それぞれ塩づくりが行われていたことが記されており、そのころの塩づくりに関連したと考えられる土器も見つかっています。
さらに、太平洋岸の砂丘地帯で見つかった沢田遺跡(ひたちなか市)・村松白根遺跡(東海村)の発掘成果は、中世から近世の塩づくりやそれを中心としたムラの様子を示してくれるとともに、大風でムラが埋まったという「千々乱風伝説」との関わりを示してくれ、当時の厳しい生活の様子がうかがえます。
内海と外海の環境に恵まれた茨城は、古代からの塩づくりの歴史が深く刻まれています。今回の展示では、県内の考古資料を中心に、東北・東海・瀬戸内海地方での製塩や塩の流通、塩に関わる神事等の資料を加えて展示します。いにしえに生きた人々の塩づくりの様子を知っていただくとともに、塩づくりに関わった人々の心にまで思いをはせていただこうとするものです。
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