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[徳川慶喜東京へ移る[1897・明治30年〜1913・大正2年] |
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1 いつ東京へ来たか。 |
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- 明治30年11月19日,東京移住のため出京,巣鴨邸に入る。
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2 誰がついてきたか。 |
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3 静岡から東京への移動ルートはどこか。 |
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- 明治30年11月16日,静岡を発ち,熱海を経て,19日千駄ケ谷の邸に着,ただちに巣鴨1丁目の別邸に入る。
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4 どこにいたか。 |
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- 明治30年11月19日から明治34年12月まで巣鴨邸に居住。
- 明治34年12月24日、文京区小石川小日向第六天町の邸に移る。
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5 どのようなことをしていたか。 |
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@ 生活の様子 |
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- 鶴を飼い,弓と打毬を日課にした。謡曲,囲碁,刺繍(ししゅう)などにも堪能で,相変わらず政治には無縁の趣味の生活を送った。
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A 家族 |
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- 明治43年12月8日隠居,家督を7男慶久に継がせる。
- 大正2年11月5日,9男誠が分家し華族に列し男爵を授与される。
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B 趣味 |
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6 公職に就いたか。 |
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- 明治5年 従四位
- 明治13年 正二位
- 明治21年 従一位
- 明治33年 麝香間祗候(じゃこうのましこう)仰付らる。
- 明治35年 華族に列し公爵
- 明治40年 勲四等旭日小綬章
- 明治41年 勲一等旭日大綬章
- 大正2年 旭日桐花大綬章
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7 公爵の爵位はいつ受けたか。明治政府の授爵の意図。 |
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- 明治35年6月2日,内勅により徳川慶喜分家(徳川慶喜家の創設),3日華族に列し,公爵を授与される。
- 慶喜を優遇し,明治維新の功労者として位置付け,明治の支配体制のなかに組み込むことを意図した。
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8 明治から大正までに何回水戸へ来たか。目的は。 |
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- 明治22年4月30日出京,小梅邸に文明夫人を見舞い,松戸に至りて昭武の邸に滞在。5月9日松戸を発し,塩原・日光を経て水戸に至り,17日瑞龍山に詣で,大洗・水戸を経て18日東京に着,千駄ケ谷邸に滞在,20日静岡に帰る。
- 明治26年1月27日文明夫人死去。同日慶喜出京。2月5日文明夫人の葬儀を谷中に行い,7日遺骸を瑞龍山に葬り,慶喜は棺に従う。3月7日静岡に帰る。
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