]U 徳川慶喜と茨城県内との関係
   
1 土浦,笠間,下館,古河等の諸藩と慶喜との関係
 
@土浦藩:
  • 11代藩主土屋挙直は,慶喜の弟(斉昭の17男)。明治元年家督を継ぐ。
A笠間藩:
  • 12代藩主牧野貞直は,元治元年に大坂城代となる。幕府最後の大坂城代として,幕末の動乱のなかで苦心した。慶応3年12月12日,将軍慶喜以下旧幕府軍は二条城をあとにして大坂城に移り,翌年1月3日からの鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍が敗れると,6日慶喜は,ひそかに会津藩主松平容保らをひきつれて大坂城を脱出,8日大阪天保山沖から旧幕府軍艦開陽丸に乗って江戸に向った。貞直は,これをあとから知って急ぎ天保山沖に向ったが,すでに開陽丸は出帆していた。
B下館藩:
  • 9代藩主石川総管は,明治元年4月17日,旧幕府軍に下館に侵入され,旧幕府軍への味方を強要された。軍資金200両を受取ると旧幕府軍は退去したが,新政府軍からも味方するように要請され,進退に窮した総管は、4月20日の夜明けひそかに下館を脱出、慶喜のいる水戸に逃れた。水戸では吉田薬王院に逼塞,ただひたすら嵐の過ぎ去るのを待った。宇都宮を中心とする戦いが新政府軍の勝利に終ると,総管はようやく5月19日に下館に帰った。
C 古河藩:
  • 14代藩主土井利与は,明治元年閏4月9日明治天皇に拝謁,翌10日には勤王誓約をした。慶喜との関係は薄い。
   
2 常陸国や茨城県に尽くしたことがあるか。
 
  • 水戸家出身の唯一の将軍であること。
  • 明治元年1月19日に在京の水戸藩士,いわゆる本圀寺勢に託された「除奸反正」の勅書(市川三左衛門らを討伐し,藩政を正常化せよ,という内容)をすみやかに受諾してそのとおりに藩政を刷新するように慶篤に助言,2月10日,慶篤はその助言どおり勅命を受諾,その後尊攘派が江戸邸の実権を握り,水戸徳川家は朝敵とされる危機を免れることができた。
 

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