元禄14年11月、徳川光圀の一周忌に子息の綱條が作らせた陶製のものです。台座の銘には、子孫が永く光圀の遺徳を仰ぎ慕うようにと、光圀の生母靖定夫人の菩提寺である久昌寺(常陸太田市)に安置すると記されています。
夫人は近衛尋子(泰姫)で、21才で亡くなっています。