安永4年(1775)土浦に生まれた沼尻墨僊は、享和3年(1803)に寺子屋時習斎を開いて多くの子弟の教育に当たっていました。また早くから天文学や地理学を学び、その目は国内ばかりでなく広く海外にも注がれていました。
初め、自作の渾天儀で天体を観測し、長久保赤水などの地図を模写していました。地球儀は安政2年(1855)に製作され、使用するときは広げて台の上に置き、納めるときには傘をつぼめるようにします。