釈迦如来立像(国指定重要文化財)
釈迦如来立像(複製) 原資料 鉾田市 福泉寺蔵  
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桧材を用いた寄木造,素地,玉眼嵌入の像で,縄状の髪筋を渦巻状につくり,両肩を覆った法衣を頸元まで着け,胸前から平行線状の衣文を細かく重ねて疊む姿の清涼寺式像です。清涼寺式像とは,京都の清涼寺本尊釈迦如来を模刻した像のことをいいます。清涼寺の像は,入来した東大寺僧然が,台州の開元寺にあったインド伝来の優王(インドのコーサンピー国王,仏像を初めて造った人といわれる)の釈迦と伝える霊像を模刻させて持ち帰ったもので,三国伝来の瑞像として朝野の信仰を集めました。鎌倉時代には,奈良の西大寺僧叡尊が,当時隆盛の阿弥陀信仰に対して釈迦信仰,仏舎利信仰を基盤に戒律復興を鼓舞し,真言律宗の寺で盛んに清涼寺式像が造立されたのです。この像も東国で戒律の普及と社会事業に尽くした叡尊の弟子忍性の影響下に造立されたものと思われます。忍性は,西大寺流の律宗を東国に広めるため,建長4年(1252)常陸に入り,小田氏の外護を受けて筑波郡三村山(つくば市小田)の清涼院極楽寺を創め,弘長元年(1261)執権北条時頼の帰依を得て,鎌倉に移るまで教化につとめました。いま三村山には,仏舎利信仰の所産である宝篋印塔や五輪塔,また地蔵菩薩像が遺り,出土する瓦が当時を語るだけですが,忍性が始めた民衆教化のための地蔵信仰の広まりや石造美術の後世への影響を考えるとき,常陸での忍性の存在は大きかったのです。 

 

 

 

 

 

 


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