親鸞(1173〜1262)は健保2年(1214)配流の地越後から常陸におもむき,一時下妻におりましたが,やがて笠間稲田郷に住んで他力念仏の布教につとめました。常陸での20年余の間に主著の「教行信証」の初稿を著し,多くの弟子ができました。なかでも鹿島の順信房以下の鹿島門徒,奥郡の人々と呼ばれた久慈・那珂郡の門徒,下総の飯沼にいた性信房以下の横曽根門徒や,下野の高田に住む真仏房以下の高田門徒などは,初期の真宗(浄土真宗)教国の中心となりました。