結城は,ここでは下野国となっていますが,この後江戸時代初めに下総国に入ります。太閤検地が,文禄4年(1595)徳川家康の命で行われたもので,まだ郷名が残っています。この検地帳は畑のみで合計29町2反9畝10歩,石高256石9斗2升1合ですが,寛永14年(1637)には790余町,6300石余りありました。全筆にわたって「兵庫分」「外記分」などの分附が記載されていて,まだ一地一作人制となっていないことがわかります。