西山荘は,水戸から北へ20Kmの常陸太田市にあり,光圀が元禄4年(1691)より亡くなるまでの10年間を過ごした隠居所です。建物は萱葺き屋根の質素な建構えですが,華美を嫌った光圀の信条と融和し,日本的さびを持った茶室風の味わいがあります。瑞龍山は,常陸太田市の北方にあります。光圀は,初代頼房がここを終焉の地と決めた意をくみ,寛文元年(1661)に葬り,墓所と定め,その後,水戸徳川家歴代藩主の墓となり夫人も埋葬されました。