佐竹義重(1547〜1612)は,永禄5(1562)年に16歳で父義昭から家督を継いだ。遠交近政策により上杉謙信らと連携しながら領国の拡大を図り,常陸国内だけでなく下野や陸奥南郷,白河にも進出した。そのため小田氏や那須氏,北条氏,伊達氏等との戦いに明け暮れることとなった。戦場における勇敢な姿から「鬼義重」と恐れられた。39歳で義宣に家督を譲り,後見を務めるが,義宣が常陸を統一し水戸城へ入城後は,太田城に残り,水戸城の義宣に対して「北城様」と呼ばれた。
関ヶ原の戦い後の国替えでは,太田城から常陸の家臣団を引き連れ秋田に向かい,義重自身は,六郷城に入城し居城とした。慶長17年4月19日,66歳で没した。墓は秋田市のてん(※)信寺と高野山にある。
※「てん」は門がまえに真の異字体「眞」。
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