小田城の戦い(つくば市)
小田城跡(国指定史跡)  
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暦応2年(延元4年,1339年)小田城の北畠親房は,この年4月以降,北朝方の高師泰・同師冬等の足利軍の東国下向に伴って強化された北朝勢力の攻略を受けることになりました。また親房は、たびたびの白河結城親朝に来援の書状を送りましたが親朝は白河の地を動く気配はありませんでした。暦応4年(興国2年,1341年)の結城親朝宛ての北畠親房書状には,「就中,当城内巳異心輩出現」・「小田城中巳有異心之族」という文がみられ,親房にとって小田城は決して安全な居処ではなかったのでした。信太荘の佐倉楯・東条城・亀谷城・高井城など,小田氏方の常陸南朝方の拠点が攻め落とされ,小田城を中心とする南朝勢力糾合の体制は急速に衰微し,こうした形勢を観望して北朝方に寝返る武士が続出しました。親房は結城親朝に書状を送って,東条・下妻・長沼らの変心を知らせ,益々援兵を促し続けましたが,小田城中にも叛者を生じて事態はまさに火急なることをつげました。そして,これまで北畠親房を支持してきた小田治久もついに高師冬に通じ,師冬の兵を城内に引き入れたため,親房はついに小田城を脱出して関城に移りました。
 
 

 

 
 

 

 

 

 

 

 


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