徳川斉昭の生涯
  藩政改革 @産業 天保検地

 斉昭は、藩主就任早々「愛民専一」を掲げて農村の改革を一つの柱としました。その最大の事業は、200年ぶりの領内検地でした。これは、長年放置されてきた、帳簿上の石高や等級と実際の土地状況の差を是正し、年貢の不公平感を減らそうとするものでした。具体的には検地竿をこれまでの6尺から5寸長くし、等級にも新たに「上下田」というランクを取り入れた点など農民に有利な面はありますが、豊凶にかかわらず一定の年貢を納めさせる定免制を導入し、また畑作物の金納変換率も下げて、年貢増徴を図った部分もありました。おりからの天保飢饉や、藩内の慎重論もあって実施は遅れましたが、天保11年(1840)から2年間で成し遂げました。極めて短期間に終了した裏には、農民が不満を言えない雰囲気があったと指摘されています。

 結果的には、この時期農村に成長してきた豪農たちの持高は増加し、年貢負担は増えた反面、地主としての土地所有が公認され、郷士取り立てや苗字帯刀御免など家格引き上げも行われたため、のちに多くの豪農が斉昭支持勢力となるきっかけともなりました。

 

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