徳川斉昭の生涯
  藩政改革 C軍事 海防と土着

 定府制の水戸藩は江戸に多くの藩士がおり経済的にも負担が重かったのですが、軍事的にも有事即応体制が取りにくいという問題点がありました。文政7年(1824)のイギリス人上陸のような不足の事態に備えるためには「武備ハ家中を土着に致し、人馬を持たせ候が基」とすることが必要であると斉昭は考えました。そこで、天保7年(1836)1月「海防陣屋」を設置、御先手同心頭安藤為由を大沼村、平尾清行を友部村に「定詰」とし、それぞれ郷士2人、郷足軽10人を附属させました。さらに家老山野辺義観を「海防総司」に任命し、これを助川村に土着させています。その知行地は一円知行とし、家臣も土着させています。また同時に藩士の江戸定府者200人を水戸に移しています。

 なお、天保15年(1844)の禄制改革で、検地の成果をもとに、禄高100石以上の藩士を地方知行とする制度を実施しています。これは、禄高に応じて農民を戸数配分し、年貢を直接納入させるほか、追鳥狩などにも動員するなど兵農一致を目指すものでした。

 

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