徳川斉昭の生涯
  藩主就任

 斉昭は、7代藩主治紀(はるとし)の三男に生まれました。生母は外山補子(ますこ)(烏丸大納言言光の次男中務資補の娘) です。8代藩主斉脩(なりのぶ)は病弱のため、水戸藩においては藩主継嗣問題は重大な問題でした。榊原照昌ら保守門閥派は、幕府からの経済的援助を期待して、将軍家斉の子である清水恒之丞を跡継ぎに迎えようとしましたが、藤田東湖らの下級藩士たちは藩政改革を期待して、弟敬三郎(斉昭)を擁立しようとしました。両派の対立は激しさを増し、文政12年(1829)9月、斉脩の病状悪化が伝えられると10月1日には敬三郎(斉昭)擁立派40名あまりが無断で江戸に上り、緊迫した事態となりました。そうしたなか4日に斉脩が死去、敬三郎(斉昭)を養子とする旨の遺書が見つかり、継嗣問題が終結、斉昭の藩主就任が実現しました。

 

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