天下野村(現・常陸太田市)の農家の生まれ,医者。寛政5年(1793)に武石民蔵(勝倉村(ひたちなか市)の庄屋)と蝦夷地調査を行いました。さらに同10年に,幕府の派遣で近藤重蔵・最上徳内らとともに択捉島に渡って,謙次が書いた「大日本恵登呂府」の木標を立てました。