唐津(佐賀県)の生まれ,古河藩医。医者の家柄で,藩主土井利里の古河への移封に同行し,御側医となりました。明和7年(1770)自ら執刀して,わが国二番目の人体解剖書「解屍編」を刊行しました。これは有名な「解体新書」の出る2年前のことです。