光圀は,低湿地で飲料に悩む下町住民のため,寛文3年(1663)に延べ2万5千人の労力と約550両の資金を要して,全国18番目の水道を完成させました。笠原不動谷の湧水池を水源地とし,本線は暗渠で岩樋を引き,さらに銅・木・竹などの導水樋を利用して,下町に配水されました。なお,水源地は現在も使われています。