神宮寺城・阿波崎城の攻防(稲敷市)
神宮寺城跡・阿波崎城跡(ともに県指定史跡)  
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南朝の北畠親房,暦応元年(延元3年,1338年)吉野から伊勢大湊を経て東条浦(霞ヶ浦の沿岸)に入り,東条氏など南朝に与する荘園の地頭などの力を得て神宮寺城に入城しました。そこで親房は,義良親王一行の難波の風聞からその安否を気づかい,一行の消息を尋ねる書状を白河結城親朝に送っています。また,親房の来着以前から南北両党の抗争は引き続き行われていましたが,親房の来着を契機として,常陸・北下総における南北両勢力の動きは活発になりました。このような中で親房は,神宮寺城・阿波崎城を拠点として東国の武士達を糾合し,東国における南朝勢力の強化をはかろうとしていました。しかし,暦応元年(延元3年,1338年)10月には北朝方の佐竹勢や鹿島一族に攻められて神宮寺城は落城し,親房らは阿波崎城に移りましたが,その阿波崎城をも攻略されてしまい,親房は霞ヶ浦を渡って小田氏の本拠である小田城に移りました。 

 

 

 

 

 

 


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