不況から戦争へ

 不況下の社会運動の広がりに対して,政府はこれを弾圧するとともに,農村不況克服の対策を講じました。まず第一に登場するのが救農土木事業です。これは国や県の予算に「時局救土木事業費」を計上して土木事業をおこし,そこに農民を労働者として雇用して救済するというものでした。茨城県でも,この事業によって数多くの橋や道路が建設されました。もうひとつの対策は昭和7年(1932)からはじまる農山漁村経済更正運動です。これは,農村の経済的破綻を打開するため農民自身が自力をもって経済更正計画を樹立するというもので,茨城県でも昭和7年から13年までの7ヶ年間に176の経済更正村が指定されました。しかし,このような対策は農村不況克服のきめ手とはなりませんでした。長い不況の泥沼から,ようやく農村がはいあがるのは,昭和12年以降の日中戦争から太平洋戦争にいたる,日本経済の軍需景気によるものでした。

 

 

 

 

 

 

 


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