常陸国上河内村検地帳
常陸国上河内村検地帳  
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統一政権をめざす豊臣秀吉は,全国的土地調査(太閤検地)を天正11年(1583)山城国より始め,征服地の拡大とともに各国で実施しました。この検地により土地面積の表示は,従来の貫高制(土地の広さを銭納による年貢収納額で表示する方法)が石高制(土地を米の収穫量で示す)にかわりました。常総地方の検地は,文禄3年(1594)から石田光成・大久保長安らの指揮のもとに実施され,その時の検地帳が何冊か現存しています。

これは初めて村を行政単位として確定した太閤検地の一例で,文禄3年(1594)のものです。この時から水戸地方の大部分,那珂川の西側はすべて茨城郡となり,その東側は那珂郡に入りました。検地帳は二部作成され,一部は領主が保存し,一部は農村に下付されました。ここには,田畑の上・中・下・下々の4品等級,土地保有者(本百姓)が記されていて,太閤検地が目指した一地一作人の原則を見ることができます。

 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 


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