常陸国分寺(国指定史跡)
常陸国分僧寺(模型)   
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石岡市に置かれた奈良時代の寺院で,僧寺を金光明四天王護国之寺,尼寺を法華滅罪之寺といいます。両方とも国の特別史跡となっており,尼寺の方は史跡公園として整備が進められています。

国分僧寺の伽藍(建物)は,調査により中門・金堂・講堂・経楼・回廊などの建物が確認され,七重搭跡もほぼ位置が明らかにされています。それらの成果をもとに復元模型が茨城県立歴史館にあります。

まず,中門から金堂までは回廊で結ばれています。本来はこの中門の前に南大門という門があり,築地で寺域の四方を囲んでいるはずですが,残念ながらまだ位置も大きさも分かっていませんので,今回は復元されていません。

次に,中門と金堂の中間を東に寄った所に塔があります。ここには昭和初期の頃まで礎石が残っており,国分寺の塔であることが後の研究で明らかにされています。塔の大きさは,現存する心礎(中心柱の礎石)から七重塔と考えられます。講堂は金堂のすぐ後ろに建てられていました。また,その中間の東西には,対称的に鐘楼と経楼が建ち並んでいました。調査では西側の経楼だけが確認されましたが,鐘楼は経楼と全く同じ規模で対称的にあることから,ほぼ復元模型の位置で間違いないと思われます。講堂の後ろには,他の国分寺の例によれば僧房(僧侶の居住する場所)があることが多いのですが,常陸国分僧寺の場合は,まだこの地域の調査が行われていないのでよく分かっておりません。ただ,北側の溝との距離が少ないこと,東側に広い空間があることを考えると,僧坊の位置が東に寄って建てられていることも考えられるのではないでしょうか。

それから,反対の西側では西北隅を浅い溝で囲み,その中に掘立柱の跡が数棟あったので,この付近には雑舎が建てられていたものと推測されます。また,回廊には単廊と複廊とがありますが,常陸国分僧寺では,現存する回廊の礎石から単廊であったことが確かめられています。まだ究明されていない問題が残されています。それは,東側に広がる空間の性格がまだ突きとめられていないことと,それぞれの建物の造営された時期と修復された時期が分からないことです。伽藍の建物の中で最初に建てられたのは金堂ですが,一度に全ての建物が完成したわけではありませんので,順序だった建物計画のもとに造営事業が行われたと思われます。全ての建物が完成した時期を明らかにすることが,今後大きな課題といえます

 

 

 

 

 

 

 


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