徳川光圀は、蝦夷地探検用の大船「快風丸(かいふうまる)」を建造しました。船は全長27間(約50m),幅9間(17m)、櫓40挺、帆柱18間(約33m)を有し、羅針盤も備えていました。元禄元年(1688)の3回目の航海で、石狩地方にて交易と調査を行いましたが、光圀の引退とともに中止され、のちに船も取り壊されました。