徳川斉昭の生涯
  戊午の密勅と安政の大獄

 安政5年(1858)8月8日、朝廷は水戸藩に勅諚を下し、かつ諸藩へ廻達を命じました。(戊午の密勅)。内容は幕政改革を促すものでありましたが、最初に幕府を超えて水戸藩に下された点に大きな意味がありました。幕府は勅諚返納を求めましたが、これに反発する藩士、領民の有志が9月には水戸から江戸に大挙して向かい、小金宿(松戸市)へ1000人以上が集まるというような事態になりました。ようやく騒ぎが収まったころ水戸藩京都留守居鵜飼吉左衛門、幸吉親子が京都町奉行所に拘引されるという報が届きました。これが「安政の大獄」の始まりです。

 こうした動きに対し、水戸領内では再び江戸に向かって数千人の士民が動き出していました。斉昭は慶篤とともに諭書を出して鎮撫に努めただけではなく、安政6年(1859)8月には運動の中心とされた金子孫二郎を譴責しています。

 そうした中、同年8月27日に斉昭、慶篤などに対する処分が決定されました。斉昭は水戸での永蟄居、慶篤は差控、慶喜は隠居・謹慎、藩士では家老安島帯刀切腹、鵜飼吉左衛門・茅根伊予之介死罪など厳しいものでありました。

 

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