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Y徳川慶喜水戸へ謹慎する[1868・慶応4年(明治元年 9月改元)] |
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1 いつ、水戸へ来たか(江戸からのルート、交通手段) |
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- 慶応4年(1868)4月11日暁(3時)上野寛永寺大慈院を発ち、松戸泊り,12日藤代泊り,13日土浦泊り,14日堅倉泊り,15日水戸着,弘道館至善堂に入り謹慎する。
- 『徳川慶喜公伝』に「黒木綿の羽織に小倉の袴を著け,麻裏の草履を召さる」とあるので,おそらく駕篭(かご)を利用したのであろう。
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2 誰がついてきたか。 |
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- 浅野美作守,新村主計頭,成田下総守,荒井筑後守,吉松式部少輔,千田要,田村佐十郎,中村錠次郎,村山久五郎,荻沢幾之丞(いくのじょう),小路三之助,山本四郎,玉虫十五郎,西周助,村上弥左衛門,倉持鎌次郎,常見鯛蔵,岩田弥五郎,守能与右衛門,古川貫一郎,中島鍬次郎,石川香雲院,戸塚文海,坪井信良,石坂宗哲,茂木玄隆,精鋭隊頭中条金之助・大草滝次郎ほか隊員100人余,遊撃隊頭高橋精一・駒井馬ほか隊員100人余
- 勘定方は新門辰五郎に金2万両を江戸より運搬させ,諸入費に充てた。
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3 どこにいたか。 |
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4 どのようなことをしていたか。 |
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