X 徳川慶喜と戊辰戦争[1868・慶応4年(明治元年9月改元)]
   
  戊辰戦争はどうして起こったか。徳川慶喜はどのように戦争に関係したか。
 

大政奉還後,朝廷の上京召集を辞退する藩が続出するなど,新しい政権の構築は困難をきわめ,依然実権は幕府のもとにあった。

この状況を打開するために,薩長を中心とする討幕派勢力の画策で,慶応3年12月9日王政復古の大号令が発令され,これまでの摂政・関白や幕府・所司代とかの組織をすべて廃止し,総裁・議定・参与の三職をおいて新政府を組織した。

討幕派勢力は,これをクーデター方式で決行し,幕府・慶喜を政権から排除し,慶喜に辞官・納地を要求した。

これに対し,会津・桑名両藩をはじめ徳川家臣達は薩摩を討つべしと激怒したが,慶喜は戦乱を回避するために彼らをなだめ,会津・桑名の禁門警衛を解き,13日には彼らを率いて大坂城に退いた。

慶喜公
   
  新政府内部では,しだいに議定や参与に公議政体派の勢力が増大し,納地問題も幕府・慶喜に有利な意見が優勢になった。孤立化した討幕派は,あくまでも幕府を戦争にひきこもうと,浪人を雇い乱暴狼藉を働かせ,江戸市中を混乱に陥れた。

幕府はこの挑発にこらえきれず,12月25日江戸の薩摩藩邸を焼払った。江戸では一足先に薩摩と幕府は交戦状態に入ったのである。 慶喜もとうとう「討薩の表」を作り,慶応4年1月1日「君側の奸(くんそくのかん:君主の傍らにあって悪い事をする人物)」を除くと称して,軍隊を京地に進めさせた。

こうして1月3日,鳥羽および伏見で新政府の薩長軍と旧幕府軍とが激突,戊辰戦争の火蓋がきって落とされた。
 
   
2 徳川慶喜は、いつ、どこにいて、どう行動したか。 
 
  • 鳥羽・伏見の戦いは,薩長軍約5000人に対しそれに3倍する1万5000人を擁した旧幕府軍が敗退した。この戦いの時,慶喜は感冒をわずらい大坂城に臥(ふ)せっていたが,敗戦となるや,6日夜元京都守護職松平容保(会津藩主),元京都所司代松平定敬(桑名藩主),老中板倉勝静(備中松山藩主)ら数名を従え密かに大坂城を抜けだし,天保山沖の幕府軍艦開陽艦に乗船,8日出帆,12日江戸に帰った。大坂城には幕府軍の将兵がおきざりにされた。
     
  • 江戸に帰った慶喜は,江戸城西の丸に入り,静寛院宮(将軍家茂夫人)に東帰の顛末を説明,朝廷に対し恭順謹慎の嘆願書周旋を依頼した。  
     
  • 旧幕府陸軍総裁勝海舟に恭順謹慎の意向を告げ,東征軍との周旋を一任。
     
  • 2月5日,家臣黒川嘉兵衛・大目付堀錠之助・目付平岡庄七を嘆願のため上京させる。
     
  • 2月12日,江戸城を出て上野寛永寺大慈院に入り,謹慎。
 
3 誰が徳川慶喜を守っていたか。
 
  • 大坂城退去・東帰の時の随行者は,元京都守護職松平容保,元京都所司代松平定敬,老中板倉勝静,老中酒井忠惇,大目付戸川忠愛,外国総奉行山口直毅,目付榎本道章,医師戸塚文海ら数名と開陽艦副長沢太郎左衛門(船将榎本和泉守武揚、軍艦奉行並矢田堀讃岐守鴻は上陸して不在)。
     
  • 上野寛永寺大慈院に移る時の随行者は,平岡丹波守・浅野美作守ら。寺社奉行内藤志摩守が部下の与力・同心を率いて警衛し,近藤勇は手兵を率いて沿道に潜み警戒した。
     
  • 寛永寺警衛は,山岡鉄太郎・関口艮輔らの精鋭隊70人余と見廻組50人余が当った。
   
  4 江戸のまちや江戸城はどのようになったか。
 
  • 慶応4年3月13日,慶喜から事後処理を託された旧幕府陸軍総裁勝海舟と東征大総督府参謀西郷隆盛が江戸薩摩藩邸で会見、江戸開城の和議が成立,江戸城は戦災を免れた。

    江戸では、その後5月15日に彰義隊と新政府軍が衝突し,戦場になった上野付近が戦禍にみまわれ,寛永寺境内にあった多くの建物が焼失した。しかし,江戸のまちの大半は戦火に遇うことはなかった。
   
  5 彰義隊
 
  • 慶喜側近の旧幕臣渋沢成一郎や天野八郎らにより,慶応4年2月23日浅草本願寺で結成され,江戸市中の警備にあたった。のち慶喜が謹慎していた寛永寺に拠点をうつした。

    内部対立から渋沢が脱隊したあと実権を天野が握り,そのもとに旗本や浪士3000人程があつまった。 彰義隊は,市中警衛をめぐり新政府軍兵士としばしば衝突し,徳川家に累を及ぼすことを憂慮した勝海舟や旧幕府有志から解散命令をうけたが聞き入れず,新政府軍と交戦する意思をいっそう固くした。

    5月15日,軍防事務局判事大村益次郎に指揮された政府軍2000人の総攻撃をうけ,一日で敗退した。このとき彰義隊に擁せられた輪王寺宮能久親王は海上に逃れ,5月17日常陸平潟(北茨城市)に上陸,のち奥羽列藩同盟の盟主に仰がれた。
   

茨城県立歴史館
〒310-0034 茨城県水戸市緑町2-1-15
TEL:029-225-4425/FAX:029-228-4277
お問合せ
Copyright(C) 2006 Ibaraki Prefectural Museum of History All Rights Reserved.