追鳥狩絵図
   

 

 徳川斉昭は海防とともに、藩士の士気の高揚、武備の充実を目指して、追鳥狩という軍事訓練を実施しました。

 これは、山野で薙や山鳥などを、勢子といわれる雑兵などに追い立てさせ、弓や銃などで狩りをするもので狩猟の形式をとった軍事演習であり、甲冑御調練ともいわれました。実施にあたっては、あらかじめ幕府の追鳥狩について詳細な調査をしています。幕府の追鳥狩は、5代将軍徳川綱吉の時にいったん廃止されましたが、8代将軍徳川吉宗の時から復活し、吉宗一代で15回実施されています。

 斉昭は、天保11年3月城南千束原で最初の追鳥狩を実施しました。この時は、「騎士3千、雑兵約2万」とも言われ、その勇ましい様は、言葉にも述べがたく、筆にも尽くしがたい程であったと言われています。その後、斉昭の失脚で途中中止しますが、安政5年(1859)までに水戸郊外の堀原・千波原などで9回実施され、他藩からも見学にくるほど評判になりました。

 

 

 

 

 

 


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