子返し絵馬(間引き絵馬) |
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間引き絵馬 利根町 徳満寺所蔵 |
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享保の大飢饉(1732)、天明の大飢饉(1782〜87)、天保の大飢饉(1833〜39)では、多数の餓死者がでて農村は荒廃しました。
そしてこのような事態は農村の中に間引き・堕胎を流行させました。
以下の文は、柳田國男「故郷七十年」より
……約二年間を過した利根川べりの生活を想起する時、私の印象に強く残っ ているいるのは、あの河畔に地蔵堂があり、誰が奉納したものか堂の正面右 手に一枚の彩色された絵馬が掛けてあったことである。その図柄が、産褥の 女が鉢巻を締めて生まれたばかりの嬰児を抑えつけているという悲惨なもの であった。障子にその女の影絵が映り、それに角が生えている。その傍らに 地蔵様が立って泣いているというその意味を、私は子ども心に理解し、寒いよ うな心になったことを今も憶えている……
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