土浦藩は,寛政2年(1790)の村替えにより,肥沃な和泉・近江・美作が陸奥・出羽のやせ地と交換となり,財政が苦しくなりました。父土屋彦直の改革を継いだ寅直は,その再建のための農村振興策,人材登用(大久保要・藤森弘庵・長島尉信),藩校郁文館の建設などを柱とする改革で,おおむね成果を収めることができました。