利根川の水運

利根川の流れが現在の姿になったのは,徳川幕府の治水と河川改修政策によるものでした。幕府は元和7年(1621)寛永18年(1641),承応3年(1654)とあいついで土木工事を実施して,それまで江戸湾に注いでいた利根川の流れをかえて,渡良瀬川・江戸川・鬼怒川・小貝川を支流とする現在の利根川水系をつくりあげました。また,陸上交通との中継地には河岸を設け,流通経済網を整備するとともに,年貢米の江戸への輸送ルートをつくりあげました。元禄年間(1688〜1704)以降になると,商業的農業の発展に伴う農民的商品流通が拡大して,新しい河岸・輸送ルートが出現,利根川は関東・水上交通の大動脈となっていきました。さらに,この利根川水運を利用する,香取・鹿島・息栖の三社詣が盛んになり,境・潮来などの主要な河岸場は人々の往来で賑わいました。  

 

 

 

 

 

 


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