関ケ原の戦いで勝利を得た徳川家康は,常総地方の結城秀康を福井へ,佐竹義宣を秋田へそれぞれ国替えしました。幕府が常総諸藩の成立にあたってとった政策は,第一には中世以来の旧族大名を常総から一掃し、新領主による徳川的な地方統治の地盤を築いたことです。第二には,御三家である水戸家を始め,家門あるいは譜代の大名を配置したことです。第三には,特に水戸の地を東北大名に対する防御上,江戸の外郭として重要視したことです。