明治9年(1876)の貢租納入期限がせまった11月から12月にかけて,真壁郡と那珂郡で大規模な農民一揆がおこりました。「地租の現物納」「租税延納」などを要求するものでした。この二つの農民一揆は,三重県や愛知県の農民一揆を誘発させ,そのため,明治新政府は最初に予定した地価の3%の地租を2.5%に下げざるをえませんでした。「竹槍でチョット突出す2分5厘」と風刺されました。