郷村掛や大番頭を勤めるなど,藩政改革を通して多くの藩士や領民の支持を受け,斉昭が処罰されると,その解決に奔走して捕らえられました。その後,改革派の中心となり,「天狗党事件」では天狗勢の総大将として西上し,敦賀で処刑されました。