(4)佐竹氏の領国経営

 @金山開発

 戦国大名の経済的基盤の一つとなったのは,鉱山開発であった。佐竹氏も同様で積極的に金山開発を行った。現在でも茨城県内にはいくつかの金山跡や坑道跡,鉱山道具が残っている。『新編常陸国誌』によると,当時佐竹氏の金山には,大久保,保内,栗山,山尾(日立市),瀬谷(常陸太田市),部垂(常陸大宮市),金澤,八溝,胴坂(大子町),木葉下(水戸市)などがあったという。また,市町村史にも田島,有賀,杉崎(水戸市),高野,塩子,小勝(城里町),塩沢(大子町),助川(日立市)などの鉱山があったと記されている。地名として表に出てこなくても実際にはかなり多くの場所で金の採掘がなされたとみてよいだろう。特に久慈郡大子町にあった八溝金山は越後金山(新潟),佐渡金山(新潟)に次ぐ生産量を誇ったという。

 これらの金山は当初佐竹氏の管轄であったが,豊臣秀吉が全国を統一していく過程において,秀吉の直轄領とされ佐竹氏に預け置く形に移行した。慶長3(1598)年の豊臣氏蔵納目録には,金3397枚がみえ,そのうち佐竹領常陸の金山から221枚7両3朱が運上され,上杉氏,伊達氏についで多かった。ところで,産出された金の用途であるが,食糧・鉄砲等の軍事力増強のために活用されたのはもちろんのこと,豊臣政権に従属し領国を維持していく中で豊臣秀吉や石田三成等に献上され,豊臣氏に対する忠臣としての証や軍役などの代用としてその役割を担ったのである。

 A検地

 太閤検地は,文禄3(1594)年から翌年にかけて,国単位または領国単位で施行された。

 佐竹氏の場合は領国単位で施行され,豊臣政権の石田三成配下の役人らが文禄3年10月から12月にかけて実施している。

 対象地域は,久慈郡松平村,久慈郡久米村,久慈郡和田国安,河内郡小野崎村(常陸太田市),那珂郡上檜沢村,那珂郡下小瀬村(常陸大宮市),下野国茂木内小深村,下野国茂木内小井戸郷,茂木内飯野村(栃木県芳賀郡茂木町),那珂郡石神村(那珂郡東海村),那珂郡内上河内村(水戸市),茨城郡那珂内西古宿村(東茨城郡城里町),筑波郡真壁内小和田村(桜川市),筑波郡内長井村,筑波郡内小高村,筑波郡山口村(つくば市),茨城郡宍戸庄(笠間市),行方郡武田郷之内借宿村(行方市)であった。

 検地では郡域や村域が確定され,次に田畠・屋敷の別とその等級(上・中・下・下々の4等級)付けが行われた。そして面積や収量(石高制による何石何斗何升),保有者名が帳簿である検地帳に記載された 。

 太閤検地とは別に,慶長2(1597)年から3年にかけて佐竹氏独自の検地も施行された。

 

 

 

 

 

 

 


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